「一見、気がかりな性格や特性が、その子の個性になる」
...というオコトバは、昨日聞いたばかりの講演会でのもの。
「負けず嫌い」も、やっぱり大事なことですよね。
度が過ぎると...っていうのは勿論ありますが、これっていろいろ経験して、
減っていくだろうし...。
小さいうちは、それでもよくわかっているつもりでも、
自分のコドモも年齢を重ねるにつれ、見えにくくなりそう。
2,3歳の年の差のキョウダイ間で、互いの経験を持ち出して、
なんとか「切磋琢磨」しつつ、まるくいってほしい、なんて、
わたしも読みながら思ってしまいましタ(ふふふ)。
いい言葉ですね〜。心強いです。
ほの・るるさんのコメントは読んで、「ふーむ」と考えさせられちゃいますね。
いつもありがとうございます。
でも私はどちらかといえば子供に関しては放任主義なのかもしれません(笑)
自分ではそう思っていなかったのですが、最近いろいろな話を聞くとやっぱりそうかも。
多分子離れがめちゃくちゃ早いんじゃないかと自分で自分のことを思ってみたり。
まあそういう親を持っちゃったんだから、兄妹で揉まれて社会に適応していってねという
感じです。自分の子供の生命力を見るにつけ、子供って親が当然慈しんで育てるのは前提の上で、それでも生きるのにたくましいなあと。それを信頼してもいいのかなあと。
まとまりありませんが、そんな感じです。
いやはや、レスにちょっとテレております、ホノルル・ルルです。
かの言葉自体の「個性」って部分に対しては、
もうちょい置き換えて理解したい、という話が、わがブログにて、
ほかの方の意見まじえて展開しておりますが...<って、宣伝かい?!、
割と、悪いところをなくしたい、ってなりがちな自分の気持ちを反省して
聴いたところなんですよ。
放任、というより、べったりとせず、見守る、ってことだと思いますよ〜。
自分のところでも(また宣伝?!)、その点が話題になりましたが、
見守るって難しいです。子どもの力を信じるっていうのも、やっぱり難しい。
どうしても先回りしたくなってしまいますもん。浅知恵で。
いくつか信条ができてきそうです、ハイ。
ほのるる・るるさん。
確かに、子供はこれから先が未知数な分だけ期待を込めて親が絵を描いてしまいがちですよね。
私の母は、あまりそれをしなかったのを今になってかえってありがたく思ってます。
でも本当の本当は時間的余裕がないってのもあるんですよね。時間があれば多分私は先回り先回りして石ころを取り除けてしまうタイプだと思います。そういう意味では今のバランスがもしかしたらいいのかもしれないです。
個性か〜難しい言葉ですね。自由と一緒で。それは大切なものだけどそれだけではダメだという意味では。