最近あちこち育児系BLOGで、「絵本の読み聞かせブーム・絵本を子供に与えること」についてのエントリーがいくつかあってその話題の伝播を面白いなあと思いつつ眺めています。これに関してはそれぞれ書いた人たちの育ってきた環境なり子育ての考え方なり絵本への思い入れなりあるので意見が分散するのは当然、その多様性がこの話題を面白くしていると思うのですがそこに私も遅ればせながら乱入してみようかと。
「絵本の読み聞かせブーム」はよく新聞でも判で押したように「幼少期の読み聞かせは大切」とうんざりするほど出てきていて、その度私が思っていたことは「どうして子供の絵本の読み聞かせはあって大人の本の読み聞かせはないのかっ!」←思いっきり論点ずれてますけど(笑)。
昔からラジオの朗読とか聞くのが好きだったんですね。本は文字で情報を伝える。でも耳から同じ情報が伝わるとまた違う味わいというか、臨場感みたいなものがでてくる。これに映像がつくとちょっとイメージの広がる余地が少なくなるんだけど音で入ってくる情報は本を読むのと同じぐらいに想像力を駆使する。いまだに小学生の時、風邪で休んでいて布団の中で聞いたサキの「開いた窓」という短編の朗読は忘れられないです。
で、朗読する側の力量も問われると思うのだけど、どうして大人の本をこういう「読み聞かせる」手段で伝達するということは日本ではブームにならないのかと常に思ってました。アメリカなんかでは例えばポール・オースターが新作のリーディングを昔馴染みのこじんまりした本屋で行います。とかそういう催しがかなりたくさんある。朗読会ってのはかなりポピュラーなものらしいんだけど、そういうのが欲しい。創作そのものをさまざまな伝達の手段を経由して立体的に楽しむというか、そういうひとつの手段だと思うんですね。絵本の読み聞かせだけで終わっちゃうのはもったいないと思うのです。
で、話が大幅に脱線して元にもどって「読み聞かせ」なんだけど、うちは読み聞かせやってます。が、子供がせがむからというのがあってせがまない時は読まない。そして本は何でもいい。私が子供たちに選んで買った絵本もあれば、おばあちゃんがくれた絵本、図書館で子供たちが自分で選んだ絵本、私が昔買った絵本。あくまで読み聞かせは子供とのコミュニケーションの道具です。だからDVD見ててもCM見てても同じようなことをこどもたちとはえんえん会話してます。そのなかのひとつという位置付け。いい質のものを敢えて選んで与えるということはしてません。取捨選択する能力も合わせて育って欲しいので。
あと潤沢に与えられるということにもあまり頓着してません。あればあったでいいし、無ければ「どうしても欲しい、どうしても読みたい」という意欲を引き出せると思うからです。まあ適度に絵本が与えられていて、「もっと読みたい」と思っても手に入らず親の書棚から活字のあるものを盗み読みしていた自分の体験そのままの写しみたいなもんですけどね。
当然のことながら私の考え方であって、誰に押し付けるものでもなく誰を非難するものでもありません。いろいろな考え方や育て方があって多様な人間が育つんだもんなあ。「こうあるべき」という意見を大多数が受け入れて画一化することのほうが怖いです。
こんちは^^。
妹が何年か前の兄と同じように本を「読んでー」と持ってくるようになりました。といっても本持っていくのはわたしよりもダンナへの方が多いんですけれども^^;。
娘が話をわりと忠実に追うのに比べて息子は作者の意図とは全然違うところに夢中になってます…ました(たとえば五味太郎の「きんぎょがにげた」では娘がきんぎょを素直に追うのに息子はおもちゃ部屋にあるロケットが気に入ってそのページからなかなか進まなかったり)。
こんにちは。いつも楽しく拝見しています。トラックバックありがとうございました。
この話題、いろいろな方が言及してくれて、うまく言えない自分の思いをどんどんクリアにしていってくれるのがうれしいです。
>あくまで読み聞かせは子供とのコミュニケーションの道具
そうなんですよねえ。結局、子育て中の親にとっては、それに尽きると思います。だから本はなんでもいいし、本じゃなくても当然いい。ただうちの場合、いろいろな絵本を読んでいるのは「単にわたしが読みたいから」というだけで。親の趣味なんだけど、どうやら息子と共通の趣味らしいからいいか〜という感じなんです。わたしが興味があるから、読み聞かせの本とかも読んでいるけれど、その内容に忠実になにかをやっているかというと、それはまた別の話。
>無ければ「どうしても欲しい、どうしても読みたい」という意欲を引き出せる
確かにそういうこともあるかもしれないですね。自分自身、本に限らず、思うように手に入らないけど欲しいと思うものに関しては、子どもながらになんとかしようとしたものなぁ。
>「こうあるべき」という意見を大多数が受け入れて画一化することのほうが怖い
本当にその通りだと思います。「自分はこう思う、ちょっと聞いて」という話を読んでいろんな人が反応して、さまざまな形で伝播していくのを見ていると面白い。そうかあ、これがblogの醍醐味かあと、blogビギナーのわたしとしては実感しているところです。
ところで「大人の読み聞かせ」、ほしいですねえ。おはなし会なんかに行くと、子どもよりこっちが気持ち良くなっちゃうことがありますもの。
こんにちは。トラバ,ありがとうございました。
なんか支離滅裂なエントリーで恐縮です...なんか自分の迷いがそのまんま,まとまらない形で(<イイワケ!!)。
ついつい「大多数が支持する画一化されたやりかた」を求めすぎちゃっている自分,というのを改めて感じました。マニュアルを欲しているのかな>自分??って,ちょっと立ち止まって考えてみた次第です。
最近は,本の数のこともチラリ気になっていたんですけど(「与えられなかった人」としては<しつこい!),今回,読んでみて,確かに「潤沢に」あろうとなかろうと,って,そうですよね...。とかいって,「100冊くらい」とか目安を見つけたりしている自分でもあるのですが(苦笑)。
>よとさん
そうそう、きょうだいでも本当に目の付け所が違うと思いますよん。こちらもダンナとぐらの時は「きんぎょがにげた」が大活躍で本人も金魚だけじゃなくて、他の物もおぼえちゃうほど好きだったのにぐりはぜんぜんだね〜という話をしていたところです。ぐりは私がたまに「きんぎょがにげた」読もうよ〜と私が誘い水を向けても「いや!きんぎょさんきらい」でNGです。彼女のお気に入りは「よるくま」。自分が熊を可愛がっているんでどうやらはじめのページで熊の人形がでてくるのがお気に入りみたい。当然最後まで読みません〜。これも性格かな〜。
あ、「リアルワールド」ありがとうございました〜!
>よんさん
こんにちは〜!パルタくんの調子はもどりましたか?よんさんの日記はルンバくんの時から実はチェックしていた私ですよ〜。
絵本をめぐるお話は興味深く読ませていただいてました。個人的に俯瞰すると、ソラさんの絵本についてのエントリーに関して、実際子育てをして絵本を読み聞かせている母親たちに波紋が広がっていったという感じで捉えてます。でもソラさんの意見は一理あるというか、ある意味正当だと思うんですよね〜。ただ彼女の目は「絵本の作り手」、それも作者ではなくて編集者の目に近いのではないかなと思います。そこが純粋に個人的にいろいろなスタイルで「楽しむ」側としてはちょっと気になるという感じなのかな〜。
大人の読み聞かせ、欲しいですよね!個人的にはアロマなぞ焚いて暗いろうそくの光で、ものすごく深くてやわらかい声の男性に読んでもらいたいです。←百物語かいっ!!
>ホノルル・ルルさん
こんにちは〜!いやいや、自分の子育て、これでいいのか〜って日々どの親も少しは思いつつ日を送っているんだと思います。私だって子育て初めての経験だし、いろいろ日々迷いは生じてますよ〜。
でも最近思うのはもう少し子供自身の持ってる「どこかの方向へ伸びようとする力」を信じてもっと放任主義でも、もっと自分のことを考えてもいいんじゃないかなんて。あまり小さい時からの舵取りするのを少し考えるようになってきました。これはまたいずれ考えをまとめられた時にエントリーに起こそうと思ってます。
はじめまして、おはなし会のボランティアをしているひなっぺたと申します。
大人のための「おはなし会」に行ったことがあります。
昔話にしみじみしたり、ユーモアたっぷりのお話に笑ったり、素敵なひとときでした。
おはなし会をしてると、日常をはなれて、聞き入っているお母さんがいて、(大人もおはなしが好きなんだなぁ)と改めて思います。
私もいつか大人のためのおはなし会をやりたいな、と思っています。
もちろん、ろうそくの明かりのもとで♪
ひなっぺたさんこんばんは。いらっしゃいませ。
おお〜大人のお話会、あるのですね。
だいたい本を読んでいるというのは、視覚からはいってくる情報の刺激があたりまえになっちゃってると思うんですけど、それが音声だというところがまたいいんではないかと思います。
ぜひぜひ、大人のお話会、企画してくださいませ。私参加するかも〜。
ろうそくの明かり、お話会っていうキーワードでどうしても百物語や夜の怪談を思い出してしまうのだよな〜短絡的なイメージ付けを何とかせねば、です。