文字通り丸坊主になったぐら、好評で本人に聞くと「お友達も先生も頭触りたいってくるんだよなあ〜」と嬉しそう。やっぱり触りたくなるのは母親の私だけではないのな〜。
さて、早速連休中に捕まえてきたカブトムシ、一匹が死んだ。ちゃんとエサも与えていたんだけどさすがにこの連日の猛暑が寿命を縮めたようで朝に動かなくなっていた。とはいってもカブトムシなのであまり見た目の「死」のインパクトがなくて、ぐらに「カブトムシ死んじゃったよ〜」といっても反応は「見せて見せて〜!」ぐらいでいまいちピンとこないようでそのまま朝はバタバタと保育園へ。
家に戻ってきて「死んだカブトムシ見せて〜」と言うのでティッシュにくるんであったものを出してくる。「ぐらが指でつんつんしたらびっくりして死なないんちゃう?」とか「お腹空いてるからメロンの皮あげたら動くんちゃう?」とか呑気に言っている。「ぐら、カブトムシ死んじゃったからもうぐらがつんつんしても、ご飯あげても動かないんだよ」と言うと顔がスローモーに悲しそうにゆがんだかと思うと泣き出した。彼は「死んじゃった」と私が朝宣言した段階ではまだ「死んだ=救済可能」だと判断していたんだね。「うわーん」と泣くぐらを抱っこしながら「もう動かないんだけどお空からカブトムシぐらのこと見ていて元気だからね」とかありきたりの言葉が口から出るけどどうもうまく説明できない。
とにかくティッシュにくるんで箱に入れて割り箸で墓標を作り(カブトムシのマークを書いた)寝る前に埋めに出た。それでも「寒いからティッシュのお布団かけてあげなきゃ」とか「箱のすきまからありさん入ってきたら大変なんちゃう」とかはカブトムシが生きている状態と考えていなければ出てこない言葉の数々。まだ「死」を理解するには早い年齢なんだろうな。
ダンナは「今は悲しいという気持ちがわかればそれで十分」と言う。まさしくそのとおりだと思う。しかしこれからこういう場面を迎える度に「死」の概念を経験値として積み重ねていくだろうぐらの将来を思うと、可愛い可愛いと親の保護下に置いてきた今までから、世の中の様々なことを身をもって知って成長していく局面に入ったのだと思う。
このときは言わなかったけど、ぐら、死んじゃうのはカブトムシだけじゃなくて、他のカブトムシも、クワガタムシも、そしていずれいつかは父親も母親も、そして自分もいなくなる時が来るんだよ。