仕事で最近異なる3雑誌の編集長と少し話をする機会があった。いずれも女性の編集長。こうしてみると雑誌の持つ雰囲気を具現化したのが編集長と言えるぐらいはっきりと人となりのカラーがある。凄まじく奇麗で雰囲気のある女性、知的で暖かみのある女性、そして私がずっと好きで読んでいたハイセンスな男性雑誌の編集長はなんと女性だった。この女性の話で「アティチュ−ド」という言葉を交えた話がかなり心に残った。
「attitude」というのは「態度、雰囲気」みたいな日本語訳があるけどどうも日本語には訳しにくい言葉の一つであると私は思う。私的には「そのもの、その人しか持ち得ない魅力的な雰囲気、視点」という感じかなあ。この視点で雑誌を作り上げていく際に、「この雑誌らしい切り口」「既存の価値観を疑う」ということを大切にしているという。まあこのこの言葉自体は使い古された言葉であるのだけど、なかなか実践するのは難しい。それが独りよがりではなく、うまく読者にコミュニケーションできている雑誌であるからこそ雑誌として成功しているのだろうな。
すでにあるもの、ある事象に関して「自分はこう思う」という考えって、実はすでに複数の人やマスコミのメッセージのフィルターがかかっている場合が多いような気がする。自分で情報を集めて自分なりに分析している「考え」が、実は自分の考えではないのではないかと時折思うことが実はある。だから「自分がこう思っている」ということを「疑う」というのは大切なことなのではとつらつら思っていたところだったので、それで彼女の話が印象的だったのだろう。
少人数であれblogを通じて公に自分の書いたものが人の目に触れる機会を持っている私、ほとんど育児記録として書くことが多いのだけど、それでもやはり何かについて自分の視点で書くことには長じたいと思っている。そしてその視点は自分で「そう思っている」独自性だけでは駄目で、心に届く「何か」が必要なのだ。それとセットになったものが「attitude」だと理解している。そういう「attitude」を書き記す文章に関しては持ちたいものです。
と語ってしまったけど別に堅苦しく気負って毎回そうしたいと思っているわけではないんだけどね。あと余談でそういう第一印象では個性の凄まじいほどの違いを持っている彼女たちが、しゃべるとざっくばらんでさっぱりしていて所謂「男前」という共通点を持っているのも面白いなあと。仕事でこういう性質って必要とされるものだからだろうか。