悲しい気分の時ってこんな年になってもあることはある。訳もなく・・・という訳にはいかないけれど後で考えれば大したことではなくても、やっぱり悲しい気分になるときがあるよなあ。仕事関係でなかなか時間が割けないということと、いろいろと自分の仕事の達成度や能力や人間関係にちょっと嫌気がさして現実から逃げ出したくなる、そんな日もあるよなあ。
本屋でふと見つけた「悲しい本」は絵本だけれど読む人を大人子どもを選ばない。思わずぱらぱらと立ち読みして買ってしまいました。ちょうどこんな時にこんな直球な題名の本、見事にひっかかったというか。自分の最愛の息子を亡くした父親が、悲しみぬく姿をペーソスたっぷりに描いている。小さい頃からの子どもの写真を並べているページの最後の写真が空白になっているところで涙が少し目に溜まりそうになった。親になったらこういうのに本当に弱くなりました。
といいつつ息子を亡くした父親の「喪の仕事」というか、悲しみを自己憐憫で終わらせるのではなくてとことん冷静に悲しみぬくというかね。余韻の残る本です。と思ったら訳者は谷川俊太郎でした。余韻の言葉の天才はまた同じ才を見抜く才能を持っているものなんですねえ。
・喪の仕事についてのメモ
子供と限らず愛する人を喪った時、人は一連の深い情緒反応を体験すると考えられている。Bowldy,Jは「喪の仕事」と呼んで次の四つの段階を見出した。第1期(感情麻痺の時期)
ショックのあまりに、否認が起きる。実感がわかず状況を鮮明に覚えている。不意の衝撃に圧倒されないためのサバイバル反応である。
第2期(思慕と探索の時期)信じられない思いや受け入れられない気持ちの中で、必死に対象を取り戻そうとする。
第3期(混乱と絶望の時期)
時期に否定できない現実に直面し、怒りと恨みが湧き起こる。拷問のような悲嘆の嵐と戦いながら、喪った対象への愛着を確認する。第4期(脱愛着と再起の時期)
あきらめのなかで現実を認め、愛着を心に内在化し、人間の命のはかなさや無力を受け入れ、立ち直っていく。