相変わらず息子の虫ブームは続いている。最近は保育園からの帰り道にマンションの中庭でかまびすしく虫が鳴いている場所に走っていってずっと耳を澄ませている。あとから手をつないだぐりと私が追いついて同じように並んで耳を澄ませる。そうすると今まで「虫の音」でひとくくりにしていた音がいろいろな鳴き声の複合だということが分かる。ぐらは「これはくつわむし、こっちはきりぎりすでこっちはこおろぎ」と図鑑の知識で仕入れた鳴き方をあてはめてレクチャーしてくれる。今まで知らなかった事を息子から教わるのって心地いい。まだ暑いけど夕暮れの空は澄んできて、月もきれいでぐりは「お月さまどこいった〜」と中庭を走り回って月が見える位置を探している。初秋の風景。
夜寝る前にぐらが持ってきた、保育園から毎月配られる冊子の中に金子みすゞの詩が載っていた。子どもに夜「詩」を読んであげるのははじめて。「これはね、普通のおはなしじゃなくて、きれいなことばのおはなしなんだよ」と読み終わった後に解説すると、ぐらも「うん、きれい」だとそれなりに納得していた。でもその音韻が読んでいて自分で心地よくて、2回読み返してしまった。
月日貝
西のお空は
あかね色、
あかいお日さま
海のなか。
東のお空
真珠いろ、
まるい、黄色い
お月さま。日ぐれに落ちた
お日さまと、
夜あけに沈む
お月さま、
逢うたは深い
海の底。
ある日
漁師にひろはれた、
赤とうす黄の
月日貝。
美しいものを美しいと感じる心が、仕事や何やらで忙殺されている自分に残っていたんだとなんとなくほっとした今日。
という話を仕事から帰ってきたダンナにしていたら、「俺、37になっても詩ってわからへん。昔国語の先生に「詩を書け」と言われてわからんかったもんな・・・今でも読もうって思わへんしな〜。漢文のほうが理解できたわ」というお言葉。いたよいたよそういう小学生の男の子。昔多感な頃なら「ああ、この人はこういう世界を分からないんだわ」なーんて幻滅していたかもしれないけど、今はそういう感情って人と分かち合うも良し、自分でしみじみとこっそり楽しむのも良し、という感じ。なので笑い話で終わってしまうところが大人になったってことなんですね。