純愛と孤独と喪失の物語なんだけど、言えば「ノルウェイの森」以前の村上春樹を彷彿とさせる空気感がある。でももっと具体的で直球的な感じかな。一気に読みました。多分私がひとまわり下の年齢であったら同僚の彼のように感動の心の疼きを感じたかもしれない。でも今はそこまで直球的な純愛の設定に、細部細部で感動しながらもどこかのめり込めない自分に気付くというかね。もうこういう心がむき出しになった時代は過ぎてしまったのだなあという寂しい気持ちもあり。
ねえ、女は社会に出て30も過ぎると主人公の彼女である「葉子」のように無垢ではいられないんだよ。多分ね。でも飽きずに読ませる。「パイロットフィッシュ」も貸してもらおう。
ちなみにアジアンタムブルーとは、観葉植物で水切れすると一挙に枯れる細かい葉のアジアンタムの葉が、乾燥に耐えかねて葉がちりちりに乾き元気の無い様子を指すらしい。しかし過去この観葉植物を何度も枯らしては買っていた私は、実践的にこのアジアンタムブルーになったアジアンタムを蘇生させる術を知っているのです。それは根元からぜーんぶ切ってしまって、水を絶やさずに日なたに置いておくこと。ビックリするぐらい葉が沢山でてきてあっという間に瑞々しく茂ります。余談ですが。
あぁ、これって似たようなことがあったなぁ...。
題名は忘れちゃったけど、それこそ一回り年齢が下だった頃に読んで、ものすごく
感動した本を最近読んでみたら、どこか違和感を感じたっけ。
これって自分が成長してる証と取るか、瑞々しい感受性をなくしてしまったと取るか
悩ましいよね。私は勝手に前者であると判断してるけど(笑)。
確かに、人生のステージごとに感動する対象も移り変わっていくんだろうね。
そうだよね。自分がかつて読んだ本で、物凄く感動して再度読み直してみると
「・・・うーん」というのってあるよね。きっとでも感性がなくなるんじゃなくて、世俗の垢に
覆い隠されちゃったみたいな(笑)解釈を前向きにしています。
でもたぶん、その垢が少し落ちちゃうタイミングがこれからの人生にだってあって、
そのタイミングでこういう本を読むとまた違うかもしれないなんて。
今はたぶん親子ものには軒並みノックアウトだね。だから同僚のひとまわり下の彼には
「東京タワー」はいまいち響かないかもしれないな〜。
「パイロットフィッシュ」は読んだことがあるんですが、この人の作風は透明感の中に漂う真摯さとずるさ・・・みたいなのが感じられて、自分はどうも私小説風に読んでしまいます。
(というのも、本当に私小説的な部分があるからなんですけど)
この人の本を読むと「大人であるとはいかなることか?」・・・なんてなことをふと考えてしまうのですが、この問いも世代が変わるごとに答えが変わっていくんでしょうね。
その意味では期間を置いて読み返すと、自分の変遷を如実に感じるきっかけみたいなものになって面白いですね。
レス遅れましてごめんなさい。
「パイロットフィッシュ」読了しました。どちらかといえばこちらの方が、自分の心象に近かった気がします。
そう、透明感ですよね。それは明らかに作風としてあると思う。狡さというのはあまりにもプロットがうまくまとまりすぎてるという感じのことでしょうか?この「アジアンタムブルー」と「パイロットフィッシュ」は同じ話で時系列が違うものだったんですね。
またエントリーでアップしますけど、でもこの「パイロットフィッシュ」の中のメッセージで「20代の傲慢さで言った言葉ややってしまったことが、自分が40代になってから自分自身を傷つける」みたいなことがあって、それは深く納得してしまいました。20代はまだそういう意味では「大人」ではないのかもしれませんね。少なくとも私の20代は大人じゃなかったな〜