寒くなってなかなか眠たくて起きなくなった子どもたちを起こすのにかなり時間がかかる。服を着替えさせて朝ご飯をきっちり食べさせて、保育園のノートを書きつつ遊び食べしているぐりの口へ食べ物を口うるさく言いながら持っていく。保育園の用意をしながら歯を磨きすこし遊んであげるのが理想だし、今まではあまり苦労なくこなしていたけど、最近破綻気味。で最後の最後にわたしが爆発、かなり怒鳴りながらしゅんとしたふたりを、さっさと自分の用意をして待っている旦那の車に愛想なく放りこむこと二日連続。ぐりはニ連続で涙をためて保育園へ。
あーあ、自己嫌悪。ぐりだってちょっとわたしが「歯を磨くよ」と言っているのを聞かずにロディに乗って遊んでいただけだし、ぐらなんか家を出る直前にトイレに行きたいと言っただけ。ひとつひとつは余裕があればたいしたことないのに、一旦感情的になると口汚なくなじる私がいる。これって「叱ってる」んじゃなくて自分の不満を子どもを怒ることにカモフラージュさせてぶちまけているだけ。本当はこの汚い感情の持って行き場は、子どもたちに振り回されていても臨機応変に手伝ってくれないダンナに持っていくもののはず。そして余裕を持って起きられない自分自身にね。
最近人の悪意について考える機会があって、「怒り」って純粋にある対象だけに、ある事象だけに向けられるものがシンプルで正当なものだと思う。でも雪だるま式に、それとはまったく関係のない自分の不満やストレスみたいな負の感情が自分でそれと理解しないままに「正当な怒り」にくっついて、いつの間にか肥大する。もしかしたらその「正当な怒り」すらもないちょっとした「不快」を核にして、どんどん不満やストレスがくっついてきて、それを自分で「正当な怒り」に錯覚しちゃうんじゃないかと。対象に転嫁するのは楽だし自分は正義だと思っているからね。
でも結局それは根本の解決になるわけではなくて、やっぱり自分でひとつひとつ解きほぐしてベクトルの違うそれぞれの対処を自分自身でせざるを得ない。それに客観的に気付けないことは多分愚かなことなんじゃないかと。
自戒のために文章にして日記に残しておきます。とにかく、ぐりぐら、ごめんなさい。
うちも上息子は顔色見て言葉を選ぶね。
結構切ないし、かえって冷静になるよ。
この前は「おかあさんがぐり怒ってたら僕緊張するねん」って言われたよ・・・
下娘は猪突猛進あっけらかんだけど。
これって逆だよねえ(笑)
今日は叱らずににっこり送り出せました。
母も日々訓練だね。
私は、基本的には朝送りはオットに全ておまかせだけれど、たまに自分一人でやらなきゃならないときがあると、確実にバクハツしてますわ。。あとで、自己嫌悪におちいるのだけどね〜〜。
私自身は、今、そういうのを自戒する余裕すらないような気もして、、、、最近、本能のおもむくままのおこりんぼ母さんになっているのだが、、、それもしんどい、、、。
なんだか、ため息つきにきたようで、、失礼しました。。。あぁ、週末だなぁ。。。
ゆりあんさん。
たぶんこども一人ならこれほど爆発しない気がしませんか?
こどもって複数いると、相乗効果的に賑やかで勢いがつくからどうしても
「おこりんぼ母さん」になっちゃう。これは仕方ないことですよね〜。
まあその相乗に「賑やかで楽しいなー」って思うこともあるからなあ。
叱る時に「感情のはけ口」にだけしないように自分に気をつけていれば
「恐いお母さん」でも、ま、いいかとは思ってます。
ほんと、また週末だー。
何して遊んで時間をやり過ごそうかなあ・・・ですね(笑)