悲しみは 谷川俊太郎悲しみは
むきかけのりんご
比喩ではなく
詩ではなく
ただそこに在る
むきかけのりんご悲しみは
ただそこに在る
昨日の夕刊
ただそこに在る
ただそこに在る
熱い乳房
ただそこに在る
夕暮悲しみは
言葉を離れ
心を離れ
ただそこに在る
今日のものたち
3歳の子供にとって「寂しさ」はシンプルな感情で親に受け入れられているかどうか、だと娘を見ていて思う。それが成長するにつれて、寂しさは様々な人間とのかかわりのなかで感じるものになる。友達と喧嘩したとか、仲間に受け入れられないとか。そして若いころの「寂しさ」という感情は自分の心に実際の痛みを感じさせるぐらい猛々しい。
でも年を重ねていくと、その「寂しさ」とうまく折り合えるようになってくる。そうすると寂しさのなかに一種の甘さが内包されているように感じられる。そうして「寂しさ」や「哀しみ」を飼い慣らして、負の感情にダメージを受けないための抗体を作っていくのかもしれない。
その甘さが逆に麻薬のようになってきて、寂寥を感じさせる景色を眺めたり、寂しい気持ちを抱えている人の気持ちに触れると再生する。ずっと静かに眺めたい。その人の傍らに黙って寄り添いたい気分になる。
昔読んだ谷川俊太郎のこの詩が胸に響く。それだけ私も大人になったということかな・・・なんてことを大雨の雪景色を車の窓から眺めながら考えてます。
いや、あくまでもそういう場面だったらそういう気持ちになるということです〜。
どっちかと言えば寂寥感の景色を見て考えたことなので・・・
ほんと、飲みたいねえ。セッティングしよう!