今日、メディアのプランニング指標の話をしていて、それが商売道具のはずなのにいまいち指標どうしの関係値をあいまいに理解していた、というより根本的に理解していない自分に気づく。そういう根本的な深い理解をせずに表面の事象で想定して進めて、正解にほぼ近い近似値を出していくって傾向は勉強しているときからあったのだけど、最近特にその傾向が強いような・・・平たく言えば「思考していない」状態。
本質的に理解していないことは他人には説得力を持ってしゃべることはできない。そのあたりの壁を感じていた。当然その状態をを正していかなくちゃいけないのだけど、どうもそれが不得手になっていることに気づく。そう、日々の生活がそうさせているのかな、と家に帰ってきて家事をしているときにふと思った。
日々にゆっくり落ち着いて考える「無駄な時間」がないのだなあ。帰ってきてほとんど頭で考えることなく体が脊髄反射で動いていく。洗濯物を出しコップや箸の洗い物を出し、食洗機に入っている食器を片付け洗濯物を取り込み、洗濯機を新たに回す。その間にお風呂の用意をして食事の配膳をして、食べて片付けて子供たちをお風呂に入れ歯を磨き絵本を読んで寝かしつける。この一連の流れが4年間で動線にほとんど無駄がないように組み上げられ、繰り返される。
日々の意識では子供たちへの話しかけやおしゃべりで子供に意識を集中するので精一杯。いったん考えることをしなくてもそれなりに日々回るようになるとより考えなくなる。私には長い通勤時間の電車の中という時間があるのだけど、そこでも考えることはあまりしていないなあ。そのことに今更ながら気がついて愕然とする。ひとつ、人とじっくり落ち着いて話すことによって考えがまとまるってことが多いのだけどなかなかそういう機会もない。こういう風に書き留めて思考(熟考ではない)が流れて消えるのをかろうじて止めている感じ。
もっと、意識して危機感と向上心を持たなきゃならないなあ・・・。