友達達と「結婚するなら、おつきあいするならどの年代がアッパーで、どの年代が下限かなあ〜」みたいな話題をした事があって、その話題の延長で「ひとまわり上の人とおつきあいするのと、ひとまわり下の人とおつきあいするの?究極の選択でどっち?」という話になった。そのときけっこう驚いて笑ったのがそこにいた6人中5人、みんながみんなこの年下流行りのときに、「一回り年上だな〜」だったこと。まあキャラクターとしてみんながみんな年上の人に頼りたいみたいなタイプじゃないから意外だった。多分お互いに話応えみたいなところを求めてるんだろうねえみたいな結論でにっこり収まった。
しかしこの本の「センセイ」はなんと「ツキコさん」の30歳上。でもふたりの本の中でのやりとりを見ていると、お互いを愛おしいと思うやわらかい気持ちがこっちまで伝わってきて暖かい気分になる。でもそれぞれが人生を生きてきた分だけ切ない気持ちや寂しい気持ちを抱えているからこそ、この何気ないちょっとユーモラスなやりとりの関係がより深くなるんだろうなあ。そう、不思議なことに何回も読み直したくなる。私はツキコさんとほぼ同じ年で、彼女がひとりでいるときのエピソードがいかにも私とかぶるような気がする。彼女が林檎をむきながら昔の恋人を回想するシーンとか。読み直す理由はそこにもあるんだろうなあ。
川上弘美は「蛇を踏む」のシュールなイメージがあってこちらも好きな作風なのだけど、この小説も現実的というよりはその淡さがシュールな恋愛という気もする。でも逆説的だけれどそれだからこその深みが十分あると思います。今外は春の訪れを予感させる雨、こういう日の読書にはもってこいの一冊かな。
この物語はセンセイの日本語がステキだったよね。
それをツキコが復唱して、渋々納得したりして・・。
それにしても、ひとまわりと言えば、38歳と50歳、43歳と55歳、48歳と60歳。
う〜ん、そのくらいの二人がオープンカーでシティードライブいいよね。
そんなことが実現できるような、いい歳の取り方をしてみたいものですね。
「ツキコさん、デートというものをいたしましょう」みたいな言い回しですね。
結局人間というのは何気ないフィーリングみたいなものが合う相手が一番いいのかなと
思わせる本でした。
「一回り談義」はなかなか面白い話でしたよ。
もともとメンバーの中にオヤジキラーの友達がいてて、「面白いじゃん、オヤジと話すの」みたいなところから発端が始まったというか(笑)
オープンカーですか〜。ひとまわり上の方とはしっとりとコーヒー飲んで長話というのが
私的スタイルだったりするのですが。
とはいっても前のエントリーにも書きましたが、それ程差を感じなくなっている自分が怖いです。ハイ。