お酒も料理もお店の経営も、いや仕事だってスポーツだって政治だって、結局「高い志」が一番大切かも。高い志さえあれば一見不利と思われる状況も打破できるし、それをする人の心も受け取る人の心も豊かにする。大工よ、屋根の梁を高く上げよ。このところ忙しさにかまけて志が低め設定になっていないか自問しつつ。
さとなおさんの日記を読んでいて、文章にも非常に共感したのだけれどこの文章を引用させていただいたのは別の理由。「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」
一瞬にして「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」に反応。サリンジャーのあの新潮文庫の深緑色の背表紙にオレンジやピンクのドットのあるカバーが脳裏にフラッシュバック。「フラニーとゾーイー」もあったな。そういえばあの頃はモームとかフィッツジェラルドとか読んでいた。
育児とか仕事とかその他もろもろ現実的に関らなくては(当然だね)ならない事象に追われていて、そうすると読書傾向も現実的なものになっちゃうんだよね。現実世界の、ベストセラーの、本屋に平積みされている。
もっともっと、自分の内にある想像力に余裕をもたなきゃなあ・・・と思った次第。
またまた密かに反応...(^^;)。
サリンジャー、フィッツィジェラルド、カミュ、コクトー、カフカ...
学生時代はその路線だったなぁ。今、思うとちょっと背伸びしていた
感もあり...。だけど、確かにあの頃は読書は現実にリンクして
なかったよなぁ。それだけ生活(時間)に余裕があったということ
なんだろうけどね。
また、この手の本を読める日がくるのはいつのことだろうか...。
密かに読書とか音楽とかの文化活動かぶってるね〜(笑)
まあ、そういう背伸びした本はあの頃の感性に思いっきり刺さっていたし、
今読むとまた違う読み方もできるのかな〜なんて思うけど、のしかかる現実に
追いやられてしまってるね。
多分、多分子供たちが中学生ぐらいになったらそういう時期はやってくるのでは、
まだまだ楽しみはあせらず先延ばししておこうぐらいの気持ちがちょうどいいのかもね。