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  2006-10-03 ‖Tue‖   

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  誰だって昔は

相変わらず忙しい毎日。大きなプロジェクトが佳境にはいってきたってのもあって、今月は東京出張がかなり入る。果たして乗り切れるかな・・・。

毎日毎日仕事の一環として雑誌を眺めているのだけど、そうすると贅沢といえば贅沢なのだけど傾向と広告主を把握したらあとは殆ど記憶に残らない。雑誌は所詮、そのようなもの。書籍とは違う・・・なんて思っているとたまに見事にいい意味で裏切られることがある。10月売の「Domani」の前付けに入っているエッセイ、小川洋子の「私のなかの愛おしい記憶」という連載の2回目。常連の林真理子ではなく、美しさを考え方にした斉藤薫ではなく、年代的に近く女性の共感を呼ぶ角田光代ではなく、小川洋子を起用。ここにファッション誌を超えたこのページを担当した編集者のセンスを感じる。

この文章がとても私的に感じ入る文章だった。こんな出会いがあるから読むことはやめられない。以下かいつまんで紹介。自分の記録のためにも。


私は昔は子どもが嫌いだった。そして27歳の時に自分の子どもを産み考えかたが変わった。それは可愛いとかそういう単純な話ではなく、基本的には想像力の側面から。どんな遠慮のない失敬な人でも昔は赤ん坊で母親に抱かれて乳を吸っていたのであり、どんなに嫌な上司でも家に変えれば子どもにとってはかけがえの無い父親だったりする。そんな想像をしていると腹も立たなくなった。

昔フランスの出版社で女性の美しい編集者に会い、私の小説をフランスで出版するにあたりインタビューや写真撮影のスケジュールが無事終わる。夕方になったとき、編集者の彼女が言い出しにくそうに苦渋の表情で口を開いた。「実はこれから息子を保育所へ迎えにいかなければならないの」。すぐに迎えに行ってあげるよう促す私には、彼女の後ろ姿が「せっかく遠くから来てくれたのに申し訳なくて仕方がない」という気持ちが溢れていた。

仕事と子育ての両立が難しいのはフランスでも同じこと。仕事より子どもの事情を優先させなければいけない事態が必ず起こってくる。すると母親はまるで自分が何か悪いことをしでかしたかのように、罪悪感に苛まれ大勢の人に頭を下げてまわる。お返し不可能な借りを作った気分に陥る。でもいったい、母親が何をしたというのだろう。ただ一生懸命子どもを育てているだけれはないか。そしてどんな人でも、そうやって誰かの手で育てられてきたのではないか。

「そんなに謝る必要など、どこにもないのよ。申し訳ないなんておもわなくていいの」私は彼女の後ろ姿に向かってそう呟いた。その時のつぶやきは自分の声であって、自分の声ではなかった。育児をしながら仕事を続けてきた先輩たち、太古の昔、人間が誕生して以来ずっと変わらず子どもを産み育ててきた先人たちの声も一緒にこだましていた。

今では子どもを見ると果てしない気持ちになる。死者となった遠い過去の人たちと、今に生きる自分と、まだ生まれてもいない未来の人たちがつながりあい、ひとつの大きな流れを作り出している、子どもはその象徴だ。


ページのレイアウトに「マイケル・ケンナ」のモノクロの静謐な写真が添えられていた。私の大好きな写真家でこれがあったから余計に文章に感じ入ったのかもしれない。何にしろ予想外の良き出会いってこんなことを言うんだろうなあ。


llcafell at 10.03

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Comments

>「そんなに謝る必要など、どこにもないのよ。申し訳ないなんておもわなくていいの」
これを私が会社勤めしているときに周りの人の誰かが言ってくれていたら、
私は今も会社員のままだったかなぁ・・・と思ってしまいました。
せめて私は、これから今同じように罪悪感を持ちつつがんばっているお母さんたちにそう言って回ってあげたい。
ふむ。印象深い文章ですね。


もりもり at 10.04*07:48 AM

ね。なかなかいい文章ですよね〜。
さすが小川洋子。
声高に攻撃するんではなく、でも働く母親の誰もが心の中に持っている
いろんな傷を癒してくれるような。

自分の数年前をフランスの編集者の気持ちに、今の自分を
彼女の言葉に見たから余計に思い入れが強くなっちゃいました。


llcafell at 10.04*01:58 PM
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