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  2006-12-17 ‖Sun‖   

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  弱肉強食の掟

巡回サイトで取りあげられていた、
今流行っているファーの中国での生産現場の動画を見た。

生きながら皮を剥がれて、弱々しく赤剥けの血だらけのままカメラを見据える狸。
現実といえどもグロ画像のような凄惨さ。
見た各サイトさんの女性のコメントはやはり予想したとおり、
「怖くて見れません」「もうファーは買いません」
それは納得できる。納得できる上での私的見解として。

日々、食べる肉、着る皮、すべては弱肉強食のピラミッドに暫定的に、
今頂点にいる「人間」が普遍のその掟に則って手に入れ、
そして消費しているもの。
映像はよりショッキングだが例えば、
屠殺場の牛は真っ暗なベルトコンベアに押し込まれ、
足下が外され時にはギロチンの原理で首が瞬時に刎ねられ、
その瞬間から肉の塊と化す。
これも「生物の命を消費する」ことには変わらない。

まず自分たち「人間」という種はピラミッドの頂点に立ち
自由と権力を謳歌していると思っているけれど、
大多数の人は流通から与えられた選択肢のなかから食を選び、
自由にチョイスしていると思いながら、
利潤のためにコントロールされている流行で服を買う、という
制御された中でのんびりと暮らしている「家畜」に近いということ。
平和な状態なら、暖かい地上で草を食み生きながらえるが、
いざ戦争や災害に巻き込まれると
屠殺場の牛と何も変わることが無い状態だということを認識すること。

自分たちも「愚かな生物」ということを認識すれば、命に対して謙虚になり、
おのずと他の生物に対する「敬意」と「想像力」が生まれるのではと。

あと、他の種の生き物に行き過ぎた「同類」という意識、
同じ種の人間に対するのと同じ愛情をかけることによって、
そういう「家族の一員」としての動物と、家畜として殺される
動物の間に差があってはならないと思う。
皮を剥がれる狐と生きたまま茹でられる蟹の間に差があっては
いけないのではないかと。

もちろん動物への愛情は美しい感情。
でも昔「あらいぐまラスカル」で
ラスカルを野生に返すときに辛くて泣く少年に父が
「動物と人間は一緒に住めないんだよ」
「人間の幸せが動物の幸せではないんだよ」みたいな
ことを台詞として言っていたけど、愛情と交流があってもいいけど知的な節度が必要だ。

そして、将来ピラミッドの頂点に違う生物が入れ替わった場合、
それによって人間に与えられる様々なマイナスを
受け入れなければならないという危機感。

と胸の違和感をとりとめもなく記述。


llcafell at 12.17