ところで沢木耕太郎の「凍」読了。もともと沢木耕太郎なのでその文体の雰囲気は知っているから、危なげなく楽しみに読み進めてきたけどとても印象に残る本でした。当然彼の緊迫感をあますことなく伝えながら簡潔な文体自体も良かったのだけど、今回いろいろ「夫婦」「こうありたい女性」について考えてしまった。
内容は世界的なアルパインクライマーである山野井とその妻妙子の、ヒマラヤの難峰「ギャチェン・カン」からの奇跡の生還を扱ったもの。淡々と話は進むけれど壮絶な生還劇はついつい読み進めてしまうテンポで展開されていて気がつくと終わっていた。映画にしろ本にしろこの「山」に魅了される人たち、彼らは山そのものの魅力以外にも、何もかも削っていって最後に残る自分の「生きようとする意志」の強さを確認したいから山に登るのではないかと思ったことがある。今回もそれを感じた。自分の不必要なものをすべてそぎ落としていき、肉体すらもその感覚になったとき最後に残るのは「強い意志」、そのものを見極めたいというような。
子どもが生まれる前アンセル・アダムスに憧れヨセミテに行ったことがあった。ナイトツアーというものがあって、夜のヨセミテを見てまわったとき切り立った崖で有名なエル・キャピタンの中腹で明かりが見えた。その崖でテントを張っていて(ビバーク)、下から明かりを振ると向こうもちらちら振りかえしてくれたという思い出がある。でもそんな甘さなんか文中のどこにも見当たらない。そんな中この夫婦は常にどんな状況下でも客観的で冷静で、強靭な判断力と「生きることをあきらめない」強靭な精神で生還を果たす。
夫婦が「山に登る」という個人的な行為を通してお互いの能力を尊敬し、そして同じ方向を見る。「夫婦」という関係値をシンプルに突き詰めていったときに、理想なんじゃないかとふと思った。特に妻の妙子のキャラクターが非常に魅力的で、強靭なあきらめない意思を持ち、決してパニックにならない強い女性。寡黙なのに非常に細やかな気遣いができるのでいつのまにか人が彼女に集まってくる。それも華やかな集まり方ではなくていつのまにか人の和を和やかにする。ある意味私の理想に近いかもしれない。
なんてことを密かに思いつつ、隣の部の同僚(♀)にこの本の話を振ってみた。この同僚、見かけはスレンダー美人のステキ女子なんだけど趣味がクライミングと山という人。旅行に行けばニュージーではヘリに乗って山を空撮し、チベットに鉄道で入るというなかなかのツワモノ。「あ、読みました〜」に始まり「あの夫婦いいよね〜奥さん素敵だよね〜」と意気投合。次の日にこの「凍」の主人公、山野井泰史の著書「垂直の記憶」を貸してもらった。いや〜意見の一致を見るなんて嬉しいけどオドロキです。