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  2008-04-28 ‖Mon‖   

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  持ちすぎないこと

今の同僚女子とお昼に話。彼女のところは両親が今ご病気で大変なのだけどそのあたりの話をぽつぽつと。彼女曰く「実の兄は海外なんだけど指示はするけど手にはならない、姉は東京だから私がやるしかないしね」

彼女はいわゆる「お嬢さん」で親が持っている土地や家が軽井沢から東京からあちこちにある。いろいろとそういう財産の管理を一手にやっている。昔から非常にタフで聡明な女性なのだけどさすがに疲れが表情に出ていて、心配。

親が良かれと思って残している大量のシャネルスーツや、その他の調度品たち。どの家にもそういう「親の想い」がまとわりついているモノであふれかえっていて、どう処分しようと考えるだけで力が抜けるという。

日ごろあれが欲しい、これが欲しいと思いながらモノを買うわけだけど、そのモノを購入したときの高揚した気持ちを持続させながら持ち続けることは難しい。モノは買ったら終わりじゃなく、大切に手入れしたりすることや処分するところまでをを頭に最近は置くようになった。だからあんまり買わなくなってきたのかも知れない。「モノ」に縛られたくない。そう考えると今大事に持っている本だってCDだって同じかもしれないけれど。これはそこまで思い切れず。

うまくまとまらないんだけど、自分のこの世からいなくなる時が近づいてきたら、子どもたちには何かひとつ思い出の扉を開くことのできるスイッチとしての「モノ」を引き継ぎ、あとはさっぱり処分したいと思う。自分の生きた痕跡は子どもの記憶の中に小さい引き出しで残ればいい。たまにあけてもらって懐かしんでもらえればいい。きっと子どもたちの子どもの代ぐらいまでしか私の生きていた記憶さえも残らないだろう。それも「動物としての生」としては潔くていいかもしれない。

といいつつモノ好きで、シンプルな部屋に住むより何か想像させるモノがたくさんある部屋が好きだったりするんだけどね。まだまだ達観はできません(笑)


llcafell at 04.28

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