2学期始動。ぐらの熱も下がりまた戻った暑さの中、元気に学校に保育園に登校登園してます。ぐら2日目にしてもう給食で5時間目まで。体力大丈夫かなと心配していたけど夕方には元気な顔でご飯も沢山食べてお風呂に入ってあっという間に寝ちゃったぞ。最近、ふたりで勝手にお風呂に先に入って存分に遊び、そのあとダンナや私が入って歯の仕上げ磨きや、背中を洗ったりを手伝うだけであとは自分たちでいろいろするようになったので、また少し楽に。でも親の体力が落ちているからうまくできているなあと。
ぐりが保育園からもらってきた私立保育園連盟の冊子をぱらぱらと見ていたときに引っかかった文章をメモ。
ある高名な人が「私たちは今、日本の若者たちに根拠のない自信を育ててやりたい」とはからずも同時期に言っていたことについての散文。今の子供の育て方は長らく「根拠のある自信」を育てている。勉強ができるから自信がある。スポーツが得意だから自信がある。何かができるからという自信はすべてこの「根拠のある自信」になるけれど、この「根拠ある自信」は自分より能力が秀でた人の前にいったらとたんに自信が消え、劣等感にすり替わる。だからその前に「根拠のない自信」を持たせることができれば、そういう場合にも楽天的に「もっとできる人もいるんだなあ」で終わってまた自分を肯定して自分なりに努力して生きていくことができる。。。みたいな内容。
説教チックな書き方だったんだけど、言っている内容はなにか心にひっかかるものがある。そうだなあ。私が小さいときには自分に確かに「根拠のない自信」があった気がする。それは何で培われたかははっきりと思い出せないけど、その前向きさがけっこう何につけてもいい結果に結びついてきたかなあ。でもそれを自分の子供に持たせてあげたいと考えたときに、自分の子供を誉めまくるぐらいしか思いつかないけど別に私がそうだった訳じゃないもんなあ。
もう少し、ゆっくり考えてみよう。そのうち。
私は「根拠のない自信」が全くなかった子どもでした(^^;
そうか〜、llcafell さんは誉められまくらなくても「根拠のない自信のある子」だったのかぁ・・・。
・・・・ん?それは、llcafell さんが、正真正銘「やれば何でもできちゃう」優秀な子だったせいでは〜!?笑
子どもたちに自信持たせてあげたいです。また答えが出たら教えてね^^
もりもりさん
そう、「根拠のない自信」を持ってたがために、途中まではそれなりに
とんとん行ってましたが、挫折に弱いタイプに育ってしまって今に至るって感じです(^^)
けっこう就職して10年ぐらいまではこの「根拠なき自信」でうまくいってるタイプが
まわりにもたくさんいてて、友達もそんなタイプが多かったなあ。
でも・・・人生はそんなに甘くないって感じ。だからこそ面白いんだけどね〜
でも確かにかなり楽天的かも〜。
でも私が楽天的なのもここで言うのもなんですが、母親との相容れないものが
昔からあって、それを気にしないための防御的精神から「楽天的」になった気もするなあ。
これはまた、もりもりさんのところでのコメントに書きますね〜
私は今は、母とは和解に近いところまでどうにか行ってる気がするんですが・・・。
こんばんは〜。
「根拠のない自信」ありました〜。
大学生のときに一回挫折して、
でも、今でも少しあるかもしれません(笑)
自信ありとなしで常にゆれている感じですかね。
ただ、言葉としては難しいですね。
「根拠はないけど、根拠をつくる」であって欲しいというか…。
本当に根拠もなく、自信だけあって、
でも努力もせず、反省もせず、バネにもせず、
無駄なプライドを持つ人間は、
やっぱり困ったちゃんでしかないなぁと。
個人的には「もっと失敗しようよ。失敗したらそこから考えようよ」
キャンペーン実施中です(笑)
hiyohiyoさん
このネタに関してはエントリーの最後に書いているとおり
つらつらと続けて考えているのですが、
「根拠のない自信」って結局自尊心なのかな・・・と
何ができるとか、見かけがどうとかそういうのとは
まったく違う根幹で自分を自分で肯定できるという感じかなあ。
とはいってもレイヤーが低くて、日々楽しく生きているかそういうレベルで。
母親の問題で考えると、私の母親は口は悪くていろいろと
表層的には子ども心に傷つくことはたくさんありましたが、
家族に愛されてないと思ったことはありませんでした
自分の意思に関して親に干渉された記憶はなくて
そこはいまさらながらありがたかったかなあ。
「根拠のない自信」を培えて、それからトライアルエラーで
実績を出して真の自信を得ていく・・・というのが人間的には最強な気がします。
まあ、なかなかそんな人はいないんだろうけど。
私の場合、根拠のない自信はとりあえずあったものの、そこから
失敗を経験することがラッキーなのかアンラッキーなのか
あまりなかったので。。。いまさらまたいろいろと迷っているのかなあ。
でも、アラフォーでもhiyohiyoさんの言うとおり「人生の旅の途中」
いまさらと思わずにこどもと一緒に育っていこう(笑)と思っています。
確かに、根拠のない自信を持ったまま実績もださずにプライド高い人、いるいる〜。
特にコミュニケーションに長けた人の多いHiyohiyoさんとか私のまわりにはと思いませんか?
私もcafeさんと同じで「根拠のない自信」に満ち溢れているヤツ(^^;)
だったのだけど、妊娠・出産のトラブルを機に一気に悲観的な人間に
なっちゃった気がする。。。今じゃ、もりもりさんと同じで「失う不安」を常に
抱えて生きてるなぁ。
「根拠のない自信」を育てるのは、やっぱり親の無償の愛情なのかな
と思いマス。私の母親もかなり気が強くて高圧的なところがあり、相容れない
部分はあるんだけど、自分が愛されていないなんて夢にも思ったことなく
育ったのは私(^^;)。
お勉強ができるから、運動が得意だからとか関係なく、あるがままの自分を
愛してくれる人の存在で、子供は自信を付けていくのかな、と思ったり。
「根拠のない自信」=「自尊心」っていうのはまさにそうなのかな、と思う。
amiさん
まだまだまだ思考続行中〜
多分、「根拠のない自信」が育つキーがあるがままの
自分を愛してくれるということが根底になるのなら
親からしか受けられないものなんだろうか・・・
恋人や夫から・・・ってのはなかなか難しいものなのかなあ。
「あるがままのキミが好き」ってのも継続は難しそうだもんね。
多分、人間が育つ第1段階には「根拠なき自信」があるのが
良いと思うんだけど、適当な段階で小さな挫折で挫折から
立ち上がる(なーんてすごい大げさ〜)練習も必要なのかなと
思います。その挫折から立ち直ってまた前を目指す精神力
が、結果挫折せずに来た人より大きな人生の喜びを見出すというか。
妊娠・出産は自分の努力云々ではコントロールできないから
この挫折⇒立ち直りの範疇には入ってこない、よね。
だから、自分の子どもについては今は自尊心を育ててあげて、
小学校の高学年ぐらいから少しずつ小さなエラーを経験していくなかで
「あきらめないこと」を教えなきゃな〜なんて漠然と。
あああ自分の子どもに関してこんなことを語るようになるとは・・・
子どもたち、大きくなったよね。
と同時に、エラーに弱い私が出産、育児を経て会社に
それほど理解のない中でまた前向きに仕事してるってのも
ちょっと、ちょっとだけ誉めてあげたいなあと思ったりも(笑)