ぐらが生まれる前ぐらいに、TPT(シアター・プロジェクト・トーキョー)の舞台でデビット・ルヴォー演出の舞台を集中して見ていた時期があって、「背信」「あわれ彼女は娼婦」なんかがある中で一番印象の強かった「双頭の鷲」の主演がこの麻実れいだった。ちなみに今持っているパンフレットを見ると、この「双頭の鷲」の麻美の相手役がブレイク前の堤真一だ・・・。チラシを見たときにその雰囲気を感じ取って是非とも行きたいと思っていたら、やはり演出家はそのあたりに関係していたらしい。それにブロードウェイで著名な彼は「蜘蛛女のキス」や「トーチング・トリロジー」、「BENT」などの演出を手がけている。非常に洗練された演出と舞台、それから衣装も素晴らしかった。
あらすじはこちら。アッカーマンの紹介から抜粋。
物語の主人公は、老いゆくブロードウェイの大スター、美貌で知られた大女優カレン・ストーン。齢50にして挑んだ『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で大失敗したのちに引退を決意、病気の夫を看病しながら夫婦で世界一周の旅行をしようと旅立つが、夫はローマからアテネに向かう飛行機の中で亡くなってしまい、孤独と失意のストーン夫人は、一人ローマに戻る。異文化の中で一人取り残されたアメリカ女性はそこに残ることに決める。裕福なストーン夫人が戦後の街に巣食う欲深い肉食獣たちに食い物にされてゆく時、物語は暗い影を帯びてくる。
中でも、伯爵夫人でありながら今では売春の斡旋をしている年配のコンテッサにストーン夫人は次々とローマの社交界へと紹介される。社交界とはつまり、金のためなら身体を売ることもいとわない若く美しい男のことだ。その中の一人、パオロはかつては貴族であったが、今では売春だけを生活の手段にしており、その手管で未亡人となった女優を誘惑していく。そこから続く物語はまさにブラックコメディかつ悲劇、まさにかの偉大なテネシー・ウィリアムズの素晴らしいイマジネーションの泉(訳注:戯曲の題にある「spring」とは「春」の他に「泉」も意味します)の賜物としか言いようがない。セクシーで、息苦しいほど官能的で、スキャンダラス。第二次大戦終戦直後のイタリア、と設定はモダンだが、例えば『危険な関係』などと同じデカダンの匂いがすると思う。
私も40歳になってから、悲観的ではないけれど「老い」とその先を見るような視線がどこかに備わった気がする。女の盛りを過ぎることでいろんなものを捨てていく中、若い美しい男との性愛に執着し堕落していく主人公の女性を見ながら、テネシー・ウイリアムスの時代でも今も、「老い」ることによっていろいろなものを捨てていかざるを得ない苦しさみたいなものは普遍なんだなあと感じた。麻実れいの立ち姿は非常に美しく、美しい衣装も完璧に着こなしているけど、そんな彼女にも舞台を見に来ているたくさんの女性たちにも「老い」は平等にやってくる。そんなやるせなさみたいなものが舞台全体から感じられた。
あと、印象的なことをいくつか。
麻美れいが最後の挨拶で後ろの方に座っているアッカーマンを紹介したあと、「大阪では暖かい皆様のおかげで、昨日初日で今日千秋楽を迎えました(笑)。素晴らしい舞台ですのでまたこのメンバーと一緒に大阪に帰ってきたいと思っています。」というコメント。ウイットに富んでいて良かった。
パンフレットを見ていると、この演出家が希望して実現したらしい桐野夏生との対談が。女性の本能のダークサイドをえぐりだすという意味では確かにこの二人は共感するものがあるのかも。
幕間の休憩時間にコーヒーを飲んでいたら、私より年上のやはり一人の女性に話しかけられた。まったく名前も知らない、点の接点だからか20分の間に、いろいろと芝居を見に来た自分の今の境遇みたいなものを聞かれるままにしゃべる。就職が決まった息子と大学生の息子を持ち、夫に2年前に先立たれた芝居好きの彼女は今日54歳の誕生日だという。夫はともかく、あと10数年後には私が通過する道。でも、5,6人で宝塚関連の友人と連れ立って喧しい女性軍より、彼女の佇まいは私にとって好ましかった。「綺麗で話しかけたい雰囲気を持った人だったから・・・」と言われてなんとなく嬉しかったけど、舞台の主題もあってなんだか印象深い出会いだった。綺麗というのは純粋に綺麗というのはとんでもなくて、年齢的に彼女より若いという意味合いだと解釈してます・・・。