まあ雑誌寸評はそのぐらいにして、11月売の号で葉加瀬太郎のインタビューが載っていた。キャッチに「愛娘の声で始まり、シガー、シングルモルト、靴墨のにおいで更ける幸福な日々」とある。そう、男の人の楽しみの中に「靴を磨く」ってのがあるんですね。ダンナも日曜日、子どもたちの相手の合間を縫ってはベランダに靴磨きの一式を取り出してよく磨いてます。子どもが生まれる前に買った高価な靴のきっちりとした手入れをずっと続けていて、どの靴もまるで美味しそうなパンみたいな艶を帯びている。多分、靴がきれいになるそれだけの意味ではなさそう。女には分かり得ない、何か哲学的な匂いのする行為ですね。
よく靴の手入れをしていた亡父を思い出しました。靴は10年でも20年でも履き続ける父で、学生時代には私のローファーなんかもよく磨いてくれました。誰が履くわけでもないのに(サイズが小さくて誰も履けないの)、父の靴は未だに捨てられなくて取ってあるよ〜。
そういうゆとりのあるだんな様、ステキだよね。家のダンナはスニーカーやトレッキングシューズ一辺倒だし、そういうことに全然興味ないタイプなのがちと残念なり。
男の人の靴を磨くってのは、きっとそれが自分の心と向き合っているのかな、とも思うよ。
お父さんもきっとそういう人だったんだよね。そういう風景が記憶に残るのは素敵だね。
ダンナは子育ての賑やかさや騒々しさから、自分のバランスを取り戻すためにやっているような
気がする。もともともの静かな人なので。
しかしスニーカーやトレッキングシューズも好きなんだけど、男の人のこの手の靴って
本当に場所取るよね。そう思わない?