うん。難しい問いだね。
きっと親自信が信じていることを簡単な言葉で言うのが一番伝わるんじゃないかな。
・・・と自分へも言ってみる。
「何で保育園から幼稚園に変わったの?」
最近、言葉につまった娘の問いです。
お、コメント。こんばんは〜(笑)
お風呂で今日言ってみたこと。
「死んでも、たましいは一緒にいるんだよ、だから寂しくないよ。大丈夫」
「たましいってこんなの?」←と心臓のあたりに両手で丸を作ってあてるぐら。
「うーん・・・そうだね。それは一緒ってこと」
「こんどはぐらも虫とか動物に生まれるの?」
「てんとうむしに生まれ変わっても、おとうさんとおかあさんとぐりとぐらは
一緒にいるんだよ」
「うーん、てんとうむしにしかなれへんの?」
・・・・・どう考えても説明下手。どんどん説明が外れていってるし。
概念を説明するのは、ほんと難しいです。
うーん。「おかあさん、くうちゃんと一緒にいたかったの?」じゃ失格?
けっこうそのあたりはあなたの方がうまい気がするな〜
死んだらどうなるか。
「それは、お母さんにもわかれへんねん〜。お母さんも死んだことないしな〜。でもきっと死んでも寂しくもないし悲しくもないんだよ。だって死んだ人、誰も帰ってこないもんね〜」
と明るく答えてしまう。
・・・・どっかの落語のような話でスンマセン(>_
おお〜名答かも。
そう、おとなだって死ぬことは不安なんだから、できるだけ
ぐらの心の中から「不安」を取り去ってあげたいんだけど、もりもりさんの
この最後のオチ、いいですね〜。
今日も食い下がられたらこれを使ってみよう。ありがとです〜
お久です。そんな年齢から死という概念に気付くなんて、子供ってすごいね。私は小学校の高学年のある日、夜に突然「自分もいつか死ぬんだ。」ということに思い至りました。その時は恐くて恐くて。「ママ〜。」と、半ベソかいて両親の寝室に駆け込んだ記憶があります。その瞬間の愕然とした感じを今でも覚えているんだよね。母が笑って何かを言ったのは覚えているんだけど、内容はなんだったのかなあ?事実は否定せずに、「ママもどうなるか知らないけど。」としながらも、何か気を落ち着かせてくれるコメントだったんだけど、肝心の部分を思い出せないのが残念。ただ、母と子の関係でいうと、cafeさんの「たましいは一緒。」というのはとても真実に近いと思います。母を亡くして随分経つけど、時間の経過とともに喪失感がどんどん失われていって、一方で自分の中に彼女の何かが確かに息づいているのを折々に感じることがあるよ。最近になって、夢にもよく出てくるしね。不思議な感覚なので、うまく表現できないけど。真摯に、明るく向き合ってあげたいね。
おおお〜その後どう?奮闘してますか?
そう、ダンナ実家に帰るとまずはじめにすることは、仏壇にお土産のお菓子を備えて「ただいま」ということなんだよね。ぐりぐらともそれが自然に受け入れている状態なんだよな〜。私個人は母方も父方も実家が遠いこともあって、こういうことやお墓参りに疎い状態で育ってきて、いまさら自分の子供たちが羨ましかったりする。
でも日々の中で「祖先さま」という訳ではないけれど、常に守ってくれる目に見えない存在が、怖くない存在であると子供が思うことって実は大事なことで、それが「死ぬことはそれで終わりで怖いものではない」という死生観につながって欲しいと思ってます。
「ほんとうに大切なものは目に見えないもの」、そういう発端で「勉強ができる良い子になるための」想像力ではなくて、「あいまいな世界を受け入れる心の豊かさとしての」想像力をつけて欲しいなあと。
と思わず力説しちゃいました(笑)。そういう意味では日本神話とか、世界神話とか、
そういうのって良く出来てると思うからそのうち読み聞かせしようと思っています。
お〜、そういえばウチの繊細息子も去年あたり同じようなことを言ってたっけ。。。
私もどう答えていいか分からず、「おかあさんがそんなに簡単に死ぬわけないじゃ〜ん!」
とごまかしちゃってマシタ。そういわれてみると最近、言わなくなったなぁ。
6歳前後って、そういうことを考える年頃なのかしらん。。。
ふーい。残業から帰還。何が楽しくて金曜日に残業しなきゃならんのだあ〜!
仕方なく自分で作ったカレー食べてます。
お〜そちらの繊細息子どのもそうだったのですか〜
じゃあ、もしかしたら繊細タイプ男子のDNAには、6歳前後で「死を考える」遺伝子が発現するように
できてるの?(笑)てなことは無いんだろうけど、この年の子どもってはぐらかすことってできないよね。
うちも「お母さんまだまだ生きてるよ〜うーん、100歳までは絶対生きるよ〜」と言っても「100歳には
死んじゃうの?」だもんな〜。繊細で悲観的なオトコなのか?(笑)